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灼熱の大地より⑲「ヒンディ版・映画『太陽の法』」

土曜日, 6 月 13th, 2009

『あっという間にひと月がたってしまいました。発展期には本当にいろいろな事が起きるものですが、イイシラセだけピックアップしてお伝えしておきたいと思います。

まず、マラティ語の「入会版・正心法語」が完成しました。といっても、「主への祈り」と「守護・指導霊への祈り」だけなので、「正心法語」とは呼べませんね。タイトルは「PRAYERS」となっていて、マラティ-英語対訳です。実は、「真理の言葉・正心法語」の翻訳がたいへん難航し、誰が訳してもどこからかクレームが出るという状況なので、ほぼ異論のない二つの祈りだけで取り急ぎつくらせていただきました。ヒンディ版も急ぎます。

それから二つ目に、ヒンディ語の「主への祈り」の入ったポスターを作りました。新入会者に配布し、部屋に貼っていただいて、総裁先生のお顔を覚えていただくと共に、お祈りの習慣もつけてもらおう、という狙いです。インドでは、どんなご家庭でも必ずといっていいほどヒンズーの神様や宗教指導者などの絵を飾ってあります。同じようにして、これからはこのポスターがインド全土の家庭に広がり、エル・カンターレ信仰を根づかせていくはずです。こちらはコストも安いので多言語展開を考えています。

そして三番目に、映画「太陽の法」のヒンディ版がついに完成(?)しました!
台本の翻訳業者はいっこうに期日を守らず、日本のメディア局が送ってくれた映画素材は理由もなく税関で止められ、賄賂を要求され、結局ひと月以上遅れてしまいました。
先月出家してすぐに映画担当となったチラーグが、私のいるプネのホテルにできたてホヤホヤのDVDを持ってきたのは5月12日のことです。「すごい!完璧だ!夕べ、妻と二人で観たけど、感動して抱き合って喜んだ」と興奮冷めやらぬ様子で、喜びのあまり50枚もコピーを作って持ってきていました。

さっそく部屋で観ることにしましたが、私はもちろんヒンディ語はわかりません。しかし、9年前に100回以上観た記憶というのは恐ろしいものです。書類仕事をしながら耳だけで聞いていたのですが、すぐにある重要なセリフが抜けていることに気づきました。「人として生きよ!」です!まさかと思って巻き戻してみましたが、やはり声が入っていません。チラーグを呼び出し、「オリジナルと比べたか」と尋ねると、「いや、それはしていない」とのこと。ホテルからもう一台DVDプレーヤーを借りて、日本語版を同時並行で流すと、さらにもう一ヶ所、セリフが抜けていることがわかりました。それ以外にもバックの群集の声やつぶやきなどが消されています・・・。
「高い交通費を使ってスタジオ通いして、お前はいったい何をやってた!」とコテンパンに叱られたチラーグは先ほどまでの喜びも一気に吹き飛び、ホテルをキャンセルして急遽またムンバイのスタジオまで戻ることになりました。何かテクニカルなミスだったようですが、結局、その晩徹夜で修正作業が行われ、「今度は本当に完成した!」とチラーグから連絡を受けたのは翌朝でした。
ただ、プネからすぐデリーに飛ぶことになっていた私は、もうムンバイまでDVDを受け取りに行く余裕がありません。少し残念ではありましたが、未完成の「太陽の法」をそのまま持っていくことになりました。

ちなみに、エル・カンターレの声は、インドでも人気の映画「ナルニア国物語」の主人公の王子の声の吹き替えをされた声優さんです。また「梵天である」と偽って出てきて「お前は魔だな」と見破られるパピヤスマーラの声は、悪役を演じさせたらこの人の右に出る者はいないといわれるRazaa Murad さんです。
さて、映画「太陽の法」のお披露目は、2月に古着のチャリティを行った二ヶ所のスラムで、5月14,15日に行い、計300名ほどの方々が集まってくださいました。子どもたちは日が暮れるのを待ち切れず、明るいうちから前の席に陣取っていましたが、神秘的な音楽とともに、いざ映画が始まると、うーん、小さい子にはちょっと難しかったかなぁ・・・。まあ、これは日本も同じですけどね。
そして、皆さんが一番強く反応されていたのは、やはり仏陀が登場するところ、特に降魔成道のシーンです。次々と迫り来る魔の軍勢を悟りの力で打ち破り、やがて大悟する場面は、大人も子どももシーンと固唾を飲んで見守っておられました。
終わってから、スラムのリーダーに感想を聞くと、「ラストシーンがとてもよかった。今、こうして出会っている人たちが、みんな昔から知り合っていた仲間だったとわかるから」とのこと。

これから、このDVDとプロジェクターを持って、在家のリーダーが村や町を回り、主エル・カンターレ降臨を伝えていきます。言ってみれば現代版の紙芝居屋さんですね。
迫る雨季を目前にして、今、伝道力強化を急いでいます。』

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灼熱の大地より⑳

木曜日, 6 月 4th, 2009

『5月21~25日、インド北東部のビルマ国境沿いにある州マニプールに行ってきました。
お時間のある方は、ぜひ地図を開いてみてください。バングラデッシュを飛び超えて、こんなところまでインドだったのか、と驚く方も多いはずです。
お隣のアッサム州と同じく、このマニプールでもインドからの独立を望む武装勢力が活動しているため、外国人が立ち入るのは容易ではありません。あちらこちらとたらい回しにされたあげく、現地の方々の支援も得て、ようやく許可が下りたのは、出発日の前日のことでした。

首都インパールは、先の大戦時、日本軍が戦局打開のために「インパール作戦」を決行したことで知られています。兵站を無視した無謀な作戦によって従軍した兵士の9割(8万人)近くが帰らぬ人となり、しかもその多くは戦闘による死ではなく、病死もしくは飢餓死であったと戦史には記されています。

空港に降り立ち、車で町を案内していただくと、独立を望む人々の気持ちがわかるような気がします。貧しい町並みはインドというよりもネパールや中国の風景に近く、人々の顔立ちもモンゴル系で、中には日本人と見間違うような方もい
らっしゃいます。マニプリ語という独自の言語を持ち、ヒンズー文化とは異なる独自の文化を持っています。
それもそのはず、ここマニプールは大英帝国の植民地となるまでは独立王国として存在しており、第二次大戦後、イギリスがインドから撤退するときにインドの支配下に入りました。
ヒンズー教徒が過半数ですが、インドの中では例外的にクリスチャンへの改宗も多く、また伝統的な独自の信仰を守り続けている方も少なくありません。

日本から来た新しい宗教に対する、インパールの人々の期待は圧倒的なものがありました。
ここでは2回のセミナーを開催しましたが、特に高校の校庭を借りて行ったセミナーには300名ほどの方々集まり、歓迎の意を表してくださいました。
最前列には、戦争の頃のことを知るご年配の方々がたくさん座っておられます。
「英米に敢然と立ち向かった」ということで、皆さん、日本の兵士たちをたいへん尊敬しておられました。当時の兵士たちの姿を思い出してか、私の手を握っていつまでも離さないご老人もいらっしゃいました。また、ある方は、自宅の納屋や畑に日本軍の兵士をかくまった、というエピソードを懐かしそうに話してくれました。

セミナーでは、冒頭、主催者のSoubamさんが挨拶に立たれ、日本のリトリートでの経験をお話ししてくださいました。話題は尽きず、10分程度の予定が一時間になりましたが、皆さん、熱心に耳を傾けていらっしゃいます。
私は最初にこのように挨拶しました。
「60年以上前、この地で多くの方が亡くなりました。私たちの祖父は皆さんの愛すべき国土を戦場に変え、家を焼き、畑を破壊した。そのことをとても申し訳なく感じます。それなのに皆さんは、彼らを助け、支え、匿い、共に戦ってくれました。日本は英米に完敗しました。しかし、それでも皆さんは変わらず、私たちに優しく、友好的でいてくれました。そうした皆さん方のお陰で日本は立ち直
り、復興することができたのです。そのお返しとして、今日は大切な教えをお伝えさせていただきたいと思います。」
大幅に時間がおしていたので、前日とは違うテーマで短めに切り上げたのですが、終わるや否や、昨日の話ももう一度やれ、という要望が上がり、結局、二本のセミナーを続けて開催することになってしまいました。
その後の質疑応答では、「なぜ宗教なのに科学という名前がついているのか」「伝統仏教徒との一番大きな違いは何か」「マスター大川が偉大なグルなら、どのような奇跡を起こせるか」「幸福の科学はインドをどのように考えているか」「今後のインドでの活動の計画を教えてほしい」などなど、次々と質問が出され、止まることがありません。
高校生ぐらいの女の子が質問に立ったときにはすでに4時間が経過していましたが、「私は隣の村から来ました。今日の話はどれも初めて聞くことばかりだったけど、とても印象的で、とても大切な教えだと思いました。私の村の人たちにも聞かせたいです。どうしたら、私の村にも来てもらえますか?」と言われ、思わず胸が熱くなりました。

このマニプールには、一つの言い伝えがあります。
13世紀、西のインド本土からヒンズー教が入ってきて伝統宗教を圧迫し始めたとき、マニプールの預言者たちは、「マニプールは東の国から新たな教えが入ってきたときに発展する」と言い残したそうです。そして、この「『東の国』とは日本である」と、現在、多くの方々が信じておられます。

二日間で入会を希望される方々は400名を超えました。拠点の開設も年内に実現したいと考えています。
歴史の中に消えていった多くの人々の血と汗と涙の上に、今、私たちが最高の舞台に立たせていただいていることを痛感した伝道の旅でした。』

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灼熱の大地より⑱「オーランガバード拠点開設」

木曜日, 6 月 4th, 2009

4月19日、占星術によるとこの日は絶好の結婚日和だそうです。
インド中いたるところで新郎新婦が祝福され、かつ国を挙げての総選挙が同時進行する騒然とした雰囲気の中、ムンバイ拠点に続くインド支部の二つ目の拠点、オーランガバード拠点が開所しました。

オーランガバードは、スーハス職員の父親、故ダシュラット・カルベ氏がインドで最初の信者となり、伝道を開始した歴史的な地です。
そこから蒔かれた小さな種が、十年の歳月を経てこんなにもたわわに実ったのかと思うと、感慨深いものがあります。

御本尊はもちろん世界伝道型。地の果てまでも真理を広めていかんとする仏の悲願が込められています。
祭壇をデザインしてくださったパティル氏は、当会と関わるうちに信仰に目覚め、二月に入会を果たされました。
ヒンディ語の小冊子の印刷をお願いしている業者も、英語版の月刊誌の印刷をお願いしている業者も、皆、すでに信者となり、開所式に駆けつけてくださいました。
私たちの活動をとおして、どんどん新しい信者の輪が広がっていっています。

この日のために、オーランガバードでは唯一と言われる砂絵師さんが、インドの地図と総裁先生のお顔、そしてエル・カンターレの御名をカラフルな砂で描いてくださいました。
砂曼荼羅と同じ意味が込められているそうです。

南アジア本部長の矢板さんも参列してくださった開所式典では、拠点長のマヘンドラさんが熱弁をふるって決意を語り、参加者全員による「エル・カンターレに勝利を!」の力強いシュプレヒコールで締めくくられました。

堅い話が終わった後は、青年層中心にダンス、ダンス、ダンス!
汗も飛び散る勢いです。
なぜか踊っているのは男性ばかりで、女の子たちは遠巻きにして手拍子だけ。
後で聞いたところによると、長老の方々も残っておられたので、若い女性たちは羽目を外すことを大いにためらっていたとのこと。
古式ゆかしい伝統が今も残るインドらしい話です。

オーランガバード拠点の開設は、翌日の地元の英字紙「ロクマット・タイムズ」に次のように紹介されました。
皆様の御支援のお陰で、着実な一歩をここに記すことができたとを感謝申し上げます。

タイトル「幸福の科学は地上ユートピアの建設をめざす」

オーランガバード、4月20日:この日曜日、幸福の科学インド支部の拠点がGarkhedaのUdyogshriに開設された。
幸福の科学南アジア本部長の矢板浩氏とインド支部長の諸岡由憲氏が開所式を行った。
式典の中のスピーチで、矢板氏は、諸岡氏と拠点長のマヘンドラ氏、そして職員のスーハス・カルベ氏の労をねぎらい、さらに「大川隆法総裁先生の教えに基づいて地上ユートピアを建設しよう」と参列者に訴えた。
諸岡氏は、「この思想をインドに、そして世界に広げていこう」と信者に呼びかけ、「大川隆法総裁先生の教えに従えば、誰もが幸福に生きることができる」と語った。
詳細は、インド支部オーランガバード拠点まで。(住所)
なお、シータル・パンデが司会を務めた。

以上

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